1960年の大阪タイガース(1960ねんのおおさかタイガース)では、1960年の大阪タイガースの動向をまとめる。
この年の大阪タイガースは、金田正泰監督の1年目のシーズンである。
概要
田中義雄前監督がわずか2年で辞任したことを受け、チーム生え抜きの金田正泰二軍監督がこの年から監督に昇格。金田新監督のもと、チームは優勝が期待されたが前半戦は中日・巨人・大洋の三つ巴が続き、三強を追いかける展開が続いた。中日が脱落した8月以降は順位を上げていき、最終的に広島とのAクラス争いに勝ったものの64勝62敗4分の3位で終了。投手陣は小山正明がエースとして奮闘するものの、もう一人のエース村山実は開幕から急性胃腸炎にかかったことから十分な働きができず、防御率はまずまずだったものの勝ち星が低下した。打撃陣では藤本勝巳が4番を打って本塁打王となり、並木輝男や遠井吾郎、吉田義男などもまずまずの成績をあげチームの安打数や打率・出塁率や二塁打数がリーグトップの数字を挙げたがかみ合わせが悪く、投手陣が2失点以内に抑えた試合で7月以降で9敗を喫し、そのうち5敗は優勝した大洋戦の0-1の敗戦で大洋の初優勝をアシストした形となった。翌シーズンからチーム名が「阪神タイガース」に変更されたため、「大阪タイガース」としては最後のシーズンとなった。またこの年からビジター用をグレーからブルーグレーに変更、そして同時期のセ・リーグのファンサービスの一環として「胸番号」を着ける様になったが、着けた胸番号は背番号とは異なり、書体が平べったい形だった。
チーム成績
レギュラーシーズン
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
オールスターゲーム1960
選手・スタッフ
試合結果
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
※セーブ制度は1974年から
個人成績
投手成績
※色付きは規定投球回数(182イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
達成記録・出来事
- 4月3日 - 小山正明が広島2回戦(広島市民)完投勝利をあげ通算100勝、史上27人目
- 7月6日 - マイク・ソロムコが巨人13回戦(後楽園)青木宥明から初回先頭打者本塁打を放つ、前日の巨人12回戦(後楽園)で別所毅彦から初回先頭打者本塁打を放ち、2試合連続初回連続本塁打は史上5人目で1回表の2試合初回連続先頭打者本塁打は史上2人目
- 8月11日 - 大洋20回戦(川崎)で島田源太郎に完全試合を喫する、相手投手に完全試合を喫するのは初めてで、ノーヒットノーラン込みでも1957年10月12日の中日23回戦(甲子園)で大矢根博臣に喫して以来3年ぶり
- 8月31日 - 吉田義男が広島23回戦(広島市民)で鵜狩好応から安打を放ち通算1000安打、史上35人目
- 9月26日 - 渡辺省三が国鉄23回戦(後楽園)完封勝利をあげ通算100勝を達成、史上29人目
表彰
- 藤本勝巳
- 本塁打王 22本(初受賞)
- 打点王 76打点(初受賞)
- 吉田義男
- ベストナイン〈遊〉(6年連続6度目)
- 並木輝男
- ベストナイン〈外〉(初受賞)
出典



