大炊御門 経久(おおいのみかど つねひさ)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿。右大臣・大炊御門家孝の子。官位は従一位・右大臣。大炊御門家25代当主。光格天皇(119代)・仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)の三朝に亘り仕えた。

経歴

天明2年(1782年)に叙爵してから清華家当主として早いスピードで昇進し、侍従・右近衛権少将/権中将などを歴任し、寛政元年(1789年)に従三位となり、公卿に列する。その後も権中納言、権大納言、踏歌節会外弁・内弁を経て、文政4年(1821年)には右近衛大将・右馬寮御監となる。文政7年(1824年)に従一位・内大臣となるも同年辞職。その後長く政界を離れていたが、安政4年(1857年)に右大臣に就任している。

系譜

  • 父:大炊御門家孝
  • 母:三条季晴の娘
  • 妻:尹子 - 権大納言中山忠尹の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:大炊御門経長 - 侍従
    • 男子:大炊御門経尚 - 右近衛中将
    • 三男:大炊御門家信
    • 男子:今城経明 - 今城家養子

[詳細] 文化四卯十月廿九日御用番土井大炊頭殿へ留守居御呼出御渡候御書付

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