神埼郡(かんざきぐん)は、佐賀県(肥前国)の郡。
人口16,316人、面積43.99km²、人口密度371人/km²。(2025年2月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 吉野ヶ里町(よしのがりちょう)
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。
- 佐賀市の一部(三瀬村各町・蓮池町大字古賀・蓮池町大字小松・蓮池町大字見島・大和町大字名尾)
- 神埼市の全域
歴史
古代
三根郡は、古くは「肥前国風土記」「和名抄」などに見えて、「和名抄」では「加無佐岐」と記す。
『肥前國風土記』の「神埼郡」の条に、
昔、この郡に荒ぶる神がいて、往来する人が多く殺されました。景行天皇が巡行なされた時、ようやくこの神が和らぎました。それ以来、二度と災いは無くなりました。
そのため、神埼の郡とである。『肥前國風土記』では9郷ですが、三根(みね)・船帆(ふなほ)・蒲田(かまだ)・宮処(みやこ)の4郷の記載である。
- 三根郷…『肥前國風土記』で神埼郡三根村を海部直鳥が分郡して三根郡が成立したため、この地が海部直鳥の本拠地であったと思われる。所在地は神崎駅の西の城原川流域と比定。
- 船帆郡…在地の諸豪族が、船で景行天皇が巡行なされた時に供奉した場所で、三根郷の南に位置する地域にあった。
- 蒲田郡…遺称に蒲田津(現在の佐賀市蓮池)があり、城原川が筑後川に合流する地域である。船帆郡のさらに南に位置して、海に面した地域である。
- 宮処(宮所)郡…景行天皇の行宮の置かれた地であり、神埼市千代田町の西南部地域の比定される。
中世
神崎荘は、836年(承和3年)『類聚国史』に天皇の命により新たに、690町の土地開発から始まる。皇室領を経て、院領になる。その後は、白河院領から鳥羽院領、後白河院領へと代々継承されています。鳥羽院領の時代には、院司として平忠盛(平清盛の父)が神埼荘の預所となり、管理するようになった。その子清盛も同じく預所となった。
1292年(正応5年)『河上宮造営用途惣田数注文』には肥前國最大の荘園となったことが記され、その範囲は現在の神埼市、吉野ヶ里町、上峰町、みやき町の一部にいたる3000町とも言われている。城原川流域には、神埼荘の櫛田三所大明神といわれる白角折神社、櫛田宮、高志神社がある。
中世の時期には、蒲田郷・中郷・竹村郷・上條郷・倉戸郷・東郷・西郷・土師郷・本告郷・賀﨑郷があったと推定される。
南北朝時代には、北朝の九州探題の一色氏が勢福寺城、横大路城を拠点とした。南朝は、菊池武安が仁比山城、姉川城を拠点としている。
室町・戦国時代には、江上元種が城原に、菊池氏の末裔の姉川惟安が姉川城に、本告頼景が本告牟田、執行兼貞が仁比山に拠点を置いた。四家は、少弐氏に従って享禄3年(1530年)、田手畷の戦いで奮戦して大内氏に勝利する。
少弐氏の滅亡後は、四家は大友氏に従う。龍造寺隆信が今山の戦いに勝利した後は、姉川氏、本告氏は従属した。江上氏、執行氏は龍造寺と反目している。
近世
江戸時代に全域が佐賀藩領になり、蓮池藩5万2000石(佐賀藩の内高)のうちの3分の1の所領が当郡内にあった。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(43村)
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が佐賀県(第1次)、蓮池県の管轄となる。
- 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により伊万里県の管轄となる。
- 明治5年5月29日(1872年7月4日) - 佐賀県(第2次)の管轄となる。
- 明治9年(1876年)
- 4月18日 - 第2次府県統合により三潴県の管轄となる。
- 8月21日 - 長崎県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)10月28日 - 郡区町村編制法の長崎県での施行により、行政区画としての神埼郡が発足。郡役所が神埼村に設置。
- 明治16年(1883年)5月9日 - 佐賀県(第3次)の管轄となる。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。特記以外は現・神埼市。(11村)
- 神埼村 ← 神埼村、本掘村、田道ヶ里、永歌村、本告牟田村[後の西小津ヶ里・枝ヶ里]
- 西郷村 ← 横武村、姉川村、本告牟田村[上記を除く]、竹村、尾崎村
- 城田村 ← 直鳥村、姉村、黒井村、嘉納村、詫田村、下板村
- 境野村 ← 境原村、余江村、下西村
- 蓮池村 ← 古賀村(現・佐賀市、神埼市)、見島村、小松村、佐賀郡蓮池村(現・佐賀市)
- 千歳村 ← 渡瀬村、崎村、迎島村、柳島村
- 三田川村 ← 吉田村、田手村、箱川村、豆田村(現・吉野ヶ里町)
- 東脊振村 ← 大曲村、石動村、三津村、松隈村(現・吉野ヶ里町)
- 仁比山村 ← 的村、志波屋村、鶴村、城原村
- 脊振村 ← 広滝山、腹巻山、鹿路山[名尾を除く]
- 三瀬村 ← 三瀬山、藤原山、杠山(現・佐賀市)
- 鹿路山の一部(名尾)が佐賀郡松梅村の一部となる。
- 明治26年(1893年)7月1日 - 神埼村が町制施行して神埼町となる。(1町10村)
- 明治30年(1897年)6月1日 - 郡制を施行。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和10年(1935年)11月3日 - 蓮池村が町制施行して蓮池町となる。(2町9村)
- 昭和30年(1955年)
- 3月31日 - 神埼町・西郷村・仁比山村が合併し、改めて神埼町が発足。(2町7村)
- 4月1日 - 城田村・境野村・千歳村および蓮池町の一部(古賀の一部)が合併して千代田村が発足。蓮池町の残部が佐賀市に編入。(1町5村)
- 昭和40年(1965年)4月1日(3町3村)
- 千代田村が町制施行して千代田町となる。
- 三田川村が町制施行して三田川町となる。
- 平成17年(2005年)10月1日 - 三瀬村が佐賀市・佐賀郡諸富町・大和町・富士町と合併し、改めて佐賀市が発足、郡より離脱。(3町2村)
- 平成18年(2006年)
- 3月1日 - 三田川町・東脊振村が合併して吉野ヶ里町が発足。(3町1村)
- 3月20日 - 神埼町・千代田町・脊振村が合併して神埼市が発足し、郡より離脱。(1町)
変遷表
行政
- 長崎県神埼郡長
- 佐賀県神埼郡長
- 神埼郡長を務めた主な人物
- 大坪利晋
- 釜瀬富太
- 郡山軍助
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 41 佐賀県、角川書店、1982年3月1日。ISBN 4040014103。
- 旧高旧領取調帳データベース
- “神埼デジタルミュージアム「かんざき@NAVI」、”. 神埼市. 2022年5月4日閲覧。
- “櫛田宮”. 櫛田宮. 2022年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
関連文献
- 神埼郡郷土誌 上巻 - Google ブックス(神埼郡教育會、1915年)
- 神埼郡郷土誌 下巻 - Google ブックス(神埼郡教育會、1915年)
- 岩崎公弥「近世郷の成立と藩政村 : 肥前国神埼郡の場合」『地理科学』第29巻、地理科学学会、1978年、58-64頁、doi:10.20630/chirikagaku.29.0_58。
関連項目
- 神崎郡 - 兵庫県(播磨国)にある同音の郡。
- 神崎郡 (滋賀県)


![神埼郡のイラスト素材 [106562002] PIXTA](https://t.pimg.jp/106/562/002/1/106562002.jpg)
