嘯亭雜錄』(しょうていざつろく、拼音:xiàotíng zálù) は、清代に刊行された雑録。本編十巻と『嘯亭續錄』五巻の合計15巻で構成される。著者は汲修主人、諱 (本名) は愛新覚羅・昭槤で、ヌルハチの子孫にあたる。

道光初年以前に於ける政治、軍事、経済、文化、制度などの幅広い分野を詳しく網羅し、正史 (實錄や四庫全書など) の不足を補うものとして重要な文献の一つに数えられる。

刊行の経緯

編者の昭槤は、ヌルハチの次子ダイシャンの昆孫、即ちヌルハチの仍孫にあたる。嘉慶10年 (1805) に礼親王を承襲したが、同20年 (1815) に剥奪、監禁され、翌21年 (1816) に釈放されて、道光2年 (1822) に候補主事の職を与えられた。道光9年 (1829) に53歳で死去している。

昭槤は文史 (伝記) を好み、有職故実に関心をもって草稿を書き溜めていたが、死後に多くが散逸した。

それから暫く経ち、光緒元年 (1875) に醇親王・奕譞 (溥儀の祖父) が『嘯亭雜錄』の原本を入手した。しかし全体的に雑然として読むに耐えなかった為、奕譞は昭槤の府邸に上がり込むと、原稿を蒐集し直し、新たにみつかった若干の原稿を併せて仔細に修正を加え、凡そ五箇月かけて整理した。それが『嘯亭雜錄』15巻である。

光緒6年 (1880) の「九恩堂」本が現存し、1980年には中華書局 (北京) が点校本を出版した。

各巻の内容

雑録

巻1

巻2

巻3

巻4

巻5

巻6

巻7

巻8

巻9

巻10

続録

巻1

巻2

巻3

巻4

巻5

影響と誤謬

影響

魏源『聖武記』、李桓『國朝耆獻類徵』、趙爾巽『清史稿』などはどれも本書から大量に引用している。

また、本書では清朝貴族の横暴さについて直言して憚らず、たとえば巻9「權貴之淫虐」には

雍正中、某宗室の家に西洋椅有り、街衢間に於て少艾をとめの有るを睹みかけ、即ち擄とらへ歸り、其の椅上に坐りて、意に任せて宣おほやけに淫し、其の人動轉する能はざりけりとなむ。
又た某公爵に其の家婢を淫す有り、〔家婢が〕從はざれば、鷄卵を以て其の陰戸を塞ぎて死に致らしめたり。
乾隆中、某駙馬の家巨富にして、嘗て其の婢を淫せども從はず、命じて裸にて雪中に置き僵死させけり。其の家、女婢を撻死うちころせしは無算にして、皆な牆穴より屍を棄て出だし、其の父母敢へて詰なじる莫し。後、卒つひに勞瘵を以て死せり。

という記載がみられる。

誤謬

事実誤認とみられる箇所も散見される。

例えば、巻2「本朝文人多壽」には以下の通り都合15名の文人の享年が記載されているが、この内の数名には年齢に大きな誤差がみられる。

王弇州著《文人九厄》,使人閱之,索然氣盡。余按本朝文人多壽,可以證王之失。如王文簡公士禎七十七,朱竹彜尊八十四,尤西堂侗八十五,沈歸愚尚書德潛九十五,宋漫堂犖七十二,查初白慎行七十八,方靈臯苞八十二,袁簡齋枚八十二,錢辛楣大昕七十七,紀曉嵐尚書昀八十二,彭蕓楣尚書元瑞七十三、姚姬傳鼐八十四,翁覃溪方綱八十餘,梁山舟同書九十二,趙甌北翼八十二,四公至今猶存。

同じく巻2「啟心郎」の下の記載について、黒龍江大学の副教授・沈一民氏は「以通曉國語之漢員為之」を誤りであると指摘している。

國初,滿大臣不解漢語,故每部置啟心郎一員,以通曉國語之漢員為之。……

脚註

典拠

出典

  • 汲修主人 (愛新覚羅・昭槤) 著『嘯亭雜錄』商務印書館出版 (刊行年など不詳)

関聯項目

  • 『滿洲老檔』
  • 『清實錄』
  • 『古今圖書集成』
  • 『滿洲實錄』主にアイシン・グルン (後金) 時代のヌルハチの功績を記す。
  • 『東華錄』清朝に関する歴史書。
  • 『大清一統志』清朝の地理書。各地の地誌を収める。
  • 『大清會典』
  • 『滿洲源流考』
  • 『八旗滿洲氏族通譜』満洲族各姓氏 (アイシンギョロ氏除く) の由来、始祖、子孫を記す。
  • 『清史稿』

第壹套 雑録

羅盛吉〈《嘯亭雜錄》版本比较初探〉 PDF

嘯亭雜錄一卷(舊小說所收)

荒雑録 有栖川有栖著「絶叫城殺人事件」

竹富清嘯 寒林孤亭図/Web書画ミュージアム