コトノアサブキ(欧字名:Kotono Asabuki、1975年4月8日 - 不明)は日本の競走馬である。主に道営競馬(現・ホッカイドウ競馬)で活躍した。

略歴

馬齢は旧表記を用いる。なお、道営競馬は1987年以降「ホッカイドウ競馬」と呼称しているが、当時の表記に従って「道営」で表記する。

デビューから道営転入まで

3歳となった1977年に川崎競馬場でデビュー後3連勝し、南関東三冠(当時は羽田盃・東京ダービー・東京王冠賞)の有力馬と目されたが、重度の屈腱炎を発症したためその後は低迷、4歳となった翌1978年は羽田盃が10着、東京ダービーが5着など勝てず、東京ダービー出走を最後に名古屋競馬場へ転出した。

名古屋では条件戦を3連勝したが、屈腱炎からくる脚部不安が常について回る状態で満足に調教もできず、1年1か月休養。5歳時に復帰初戦を勝利したものの、再び屈腱炎の兆候を示し始めたためまたも休養に入った。コトノアサブキの非凡な能力を確信していた担当装蹄師が当時岩見沢競馬場所属だったことから、昼夜を問わず脚元を管理するため自分の身近に置いてほしいとの進言もあり、脚元の手厚いケアを受けながら再起を期すべく、オーナーサイドはコトノアサブキを道営・黒川武厩舎へ移籍させることを決めた。

道営転入後

道営転入後の初戦は、6歳になった1980年6月15日に帯広競馬場のダート1800mで行われた大平原賞(1984年をもって廃止)。一般的に速いタイムが出にくいとされるダートの良馬場ながら、馬なり(騎手が追う動作をせず、馬の走る気に任せていること)で1分49秒7のタイムを記録して圧勝し、関係者を驚愕させた。この走破タイムは帯広競馬場のコースレコードを更新するとともに、当時ダート1800mの日本レコードでもあった。日本レコードはのちに更新されたが、帯広競馬場のレコードタイムとしてはホッカイドウ競馬が帯広での開催を終了した1997年まで、ついに破られることはなかった。2008年以降ダート1800mで行われているチャンピオンズカップ(GI、2013年まではジャパンカップダート)の優勝タイムにも匹敵する好タイムを30年以上も前に地方競馬で記録していたことだけでも能力の高さがうかがえ、名馬と呼ぶには十分であった。

その後も脚部不安を抱えての出走ながら8月に岩見沢競馬場のダート1900mで行われた金杯(1996年で廃止)を1分58秒7のコースレコードで勝利。このレコードタイムも、岩見沢競馬場でのホッカイドウ競馬開催が終了した1997年まで破られることなく残った。このほか、農林水産大臣賞典(のちのステイヤーズカップ)・道営記念も優勝し、6戦6勝(うち重賞4勝)で6歳のシーズンを終えた。

7歳になった1981年も瑞穂賞とシルバーカップ(1985年で廃止)を含め3連勝し、名古屋転入時から通算13連勝を記録したが、調教中に転倒したことなどから3か月半休養、復帰初戦となった道営記念では10着と敗れ、道営馬限定レースで唯一となる黒星を喫した。それでも10日後に行われた日本中央競馬会理事長賞(現:赤レンガ記念)は快勝し、5戦4勝(うち重賞3勝)でシーズンを終えた。

8歳になった1982年も特別・瑞穂賞と連勝した後、大井競馬場へ遠征し中央競馬招待競走(1985年でオールカマーと帝王賞に統合され廃止)へ出走。出遅れながら前年の帝王賞・東京大賞典優勝馬のアズマキングの2着と全国でも十分通用する実力を示し、道営へ戻ってからは大平原賞・日本中央競馬会理事長賞・金杯・道営記念を優勝。7戦6勝2着1回(うち重賞5勝)を記録し、道営記念優勝から2週間後の11月17日に競走馬登録が抹消され、現役を引退した。

道営在籍時の管理調教師だった黒川武の回想によると「屈腱炎は最悪で、普通の馬なら競走生活を続けられないような状態」だったという。

競走成績

生涯成績は30戦23勝だが、名古屋へ移籍後は2敗しかしていない。道営在籍時の成績は3年間で18戦16勝(うち重賞12勝)。道営の重賞で勝ったレースは大半が2着馬を1秒以上引き離しており、うち2回は62kgの負担重量を背負っている。道営所属馬限定のレースで負けたのは7歳時の道営記念だけで、いまなお「道営史上最強馬」と呼ぶ者もいる。

「R」を付記したタイムは、レコードタイムを表す。

引退後

引退後は種牡馬となり、同じくファーストファミリーを父に持つホウヨウボーイが早逝したこともあり後継種牡馬として期待された。産駒からは京都3歳ステークスを制し、東京優駿でもトウカイテイオーの5着に入るなど活躍したソーエームテキのほか、地方競馬の重賞勝ち馬も数頭輩出するなどの成績をあげた。前述のソーエームテキなど後継種牡馬も3頭輩出し、2016年11月現在でも現役競走馬として活動している直系子孫がいる。

1999年に種牡馬を引退、用途変更となった。その後の動静は不明。

主な産駒

馬名が太字のものは、のち種牡馬になったものを表す。

血統表

父ファーストファミリーは、アメリカでガルフストリームパークハンデやレナードリチャーズステークスを勝つなど44戦7勝。半弟にはアメリカの三冠馬セクレタリアト、半兄にもサーゲイロードなどがいる良血。アメリカで種牡馬入り後に日本へ輸入され、ホウヨウボーイのほか札幌記念やマイラーズカップを勝ったローラーキングも輩出した。しかし、ホウヨウボーイがわずか1世代の産駒しか残せずに早逝したうえ、コトノアサブキの後継種牡馬となった3頭の産駒からも種牡馬になった馬が出なかったため、父系としてはほぼ断絶状態である。

母キクノロイヤルは中央競馬で4戦未勝利。半妹キクノホウランの産駒に、きさらぎ賞などを勝ったリードワンダーがいる。

参考文献

  • 『優駿(1988年12月号)』日本中央競馬会
  • 『地方競馬の黄金時代 廃競馬場に消えた伝説の名馬たち(p50-51)』戎光祥出版、ISBN 978-4-900901-97-1

注釈

出典

道営での重賞成績に関する出典

  • 『昭和55年度 競馬成績』刊:北海道競馬事務所
  • 『昭和56年度 競馬成績』刊:北海道競馬事務所
  • 『昭和57年度 競馬成績』刊:北海道競馬事務所

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ

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